アメリカの4年制大学を卒業してから帰国後は、職場でもプライベートでも
「どうやったら英語が話せるようになりますか?」
「英語ペラペラになる方法ないですか?」
とやたら質問を受けることが多くなった。
簡単にサラっと説明できることではないので、たいていは
「まぁ5年もアメリカで大学に行ってたので自然に話せるようになりまして…」
という何の役にも立たない答えをごにょごにょ呟いてごまかしていたけど、振り返ってみれば、自己紹介で
My name is Masami. I’m from Japan.
しか言えない状態で渡米して、大学卒業までの道のりの中で確かに英語を話せるようになるきっかけというか、ターニングポイントがいくつかあったのだ。その中で最も強烈だった体験を語ってみたいと思う。
4年制大学を卒業したと説明したけれど、実際には最初の3年間はコミュニティカレッジという短期大学に通っていた。(その後4年制大学に編入して卒業)
そのコミュニティカレッジでの最初の年のこと。入学に必要な英語テストTOEFLのスコアはギリギリの点数を獲得できていたので英語学校は回避してアメリカ人と同じクラスを受講していた。
今考えてみると無謀だったなぁ。
英語はロクに話せないし、相手の言うこともよくわからない、スーパーや銀行やカフェでのやり取り、ホームステイ先のホストファミリーとのコミュニケーション、と本当に毎日が「戦い」で必死だった。
もちろん、英語のおぼつかない私に親切にしてくれた人達もたくさんいたけれど、話せない故にバカにされてぞんざいに扱われるといったことも度々あった。
私の場合、英語学校に行かずに直接学部に入ったので日本人の友達をつくることもできずレクリエーションの機会もなかったのが災いしたところもあると思う。ひとりで初めての外国での生活において言葉が通じないという圧倒的なストレスを抱えこんでしまっていた。
そんな状況で悶々とした日々を送っていたある日、運動しようと大学のジムに行った時に事件は起きたのだ。
アメリカの大学のジムはふつう広々としていて、あまり混み合っていることはないのだが、私が当時通っていた短大のジムは日本の都会にあるフィットネスクラブぐらいの大きさだった。
確かランニングマシンが5、6台ぐらいしかなく、ステップマシーンの方が多かったと思う。そしてランニングマシンの方が人気があって使用されている率が高かった。
その日も並んでいるランニングマシンのうち、真ん中の1台だけが空いている状態。私はしばらくストレッチしてから、その空いているランニングマシンで走り始めた。
多分10分か15分ぐらい走ってからだったと思う。ランニングマシンが空くのを待つ人たちが何人か前のスペースで待機し始めた。
「今日はいつもより混んでるなぁ、1時間は走りたかったけど30-40分ぐらいで他の人に譲った方がいいかな」
と思いながら走っていたら、ものすごい強い視線で睨みつけてきている白人女性を前方に発見。腕組みをして、仁王立ちでじっと見てくる。
「えっ、何?私?」
とチラチラその人の顔を見てたら、私のところにやって来た。すごい勢いで。
そして、
「あなた、いつまでもマシン独占してるんじゃないわよ、いい加減交代しなさいよ!」
とかなんとか怒鳴ってきたのだ。
その瞬間、はりつめていた糸が切れた感じになった。自分の中でプツンと音が聞こえた。
だって、私の両隣で悠々と走っている人たちは、私より前からずっといたんですよ?
その人たちは明らかに地元のアメリカン。私はみるからに大人しくて何も言い返せない日本人留学生。。。
「あんた何で他の人じゃなく私に交代しろって言ってんだよ、私より長時間マシンを使ってる人じゃなくて!?この中で私が一番最後にマシンに乗ってるんですけど?私が何も言い返せないと思って選んだんでしょ?大人しく譲ると思ってなめてるんでしょ?」
とその女に言い返したくても、本当に本当に残念なことに英語で言う力がなかった。
それで一言、
「NO!!」
とだけ言って睨み返した。
その女は相当驚いた様子で、しばらく引っ込みがつかずブツブツ言ってたけれど、私が譲るそぶりを全く見せるどころか
”なんなら引きずり下ろしてみれば”
という雰囲気を醸しだしていたせいか元の場所へと引き下がって行った。
頭に血が上ったまま走りながら悔しくて涙が出そうになったけど我慢した。
両隣で走っているアメリカンズは、やり取りを聞いていたはずなのに沈黙したまま。
自分の方が長く使用してるから私が交代しますよ、と言いだす気配も当然なく。
その瞬間、私の背後のスペースでバーベル上げかなんかしてた男性2人が結構な大声で話し始めた。
「いやぁ、ジミー(仮名)驚いたね!普通はさ、交代してって頼まれて嫌だって言わないよね。みんなが使う公共の施設なんだし…」
「ちょっと待てよマイク(仮名)、そういうのは早合点というものだよ。彼女には彼女なりの何か理由があるんじゃないのかな」
「それにしても、つっけんどんな言い方だと思うけどねぇ」
いやいやいや、ジミー!マイク!!私は英語ほぼ話せないんだけどね、あんたらの話していることは大体理解できるんだよ!!そんな大声で私のこと話すんじゃないよー!!!
心の中で絶叫しつつ、でも何も言えずにひたすら走り続け…その後、ホームステイしている家までどうやって帰宅したのかは覚えていない。
でもこれだけは覚えている。アメリカでは理不尽なことを言われたりされた時に何も言い返せないと、とんでもない事になる。早く話せるようにならないと、ここでは生きていけない、とベッドの中で考えながら一睡もできなかったこと。
一晩中、こう言えばよかったか?ああ言えばよかったか?と英文を頭の中で組み立てながらなんどもシミュレーションしたなぁ。
例えば
Why did you pick me up? Because I’m Japanese? You think I wouldn’t talk back because I’m foreigner who is not good at English?
という感じで言い返したかった内容を英語で組み立てて、頭の中で言ってみては消し、言ってみては消ししていた。
そして背後で私について語っていた男性2名に対しては
Stop talking about me! I can hear you!
ぐらいは言えたじゃないか? 何で言わなかったのかと後悔したり。
この経験が私が英語を話せるようになる最初のきっかけとなる。言われっぱなしではやられてしまう、という危機感が何よりも大きなモチベーションになったのだ。
こういった経験は日本にいてなかなかできないですよね。英語で言うべきことを言わないとヤバイ、と言う環境に身をおくことが日本においては極めて難しい。
でも実は英語を話せるようになるには
「日常的に英語を本当に話さなければいけない局面があること」
がいちばん効果的なのだ。
この話をすると、日本にいたままで英語を話せるようになりたいと願う人達はきっと怒りを感じるでしょう。
「英語を普段から話す環境にいなくても話せるようになる方法が知りたいんだよ!」と。
そういう人たちには、ごく普通の英語学習をしていれば必ず話せるはずという真実を知っていただきたいです。私は留学前に英会話の勉強を一切していないしネィティブの人と話す機会もほとんどなかった。入学に必要なTOEFLに向けて文法、リーディング、リスニングの勉強だけガリガリやったけれど。
つまり、英会話学習コミュニティにおいて軽視されがちな文法、単語、構文などを基礎だけでもいいのでコツコツとマスターしていれば「英語を本当に話さなければいけない局面」でなんとか話せるのだ。
もちろん最初からスムーズにはいかないし、なかなか思うように自分の言いたいことを表現できなくてもどかしい思いはするだろうが「機会があれば」絶対に話せる。その「機会」を積み重ねればペラペラになることだって可能だ。
という訳で、私が英語を話せるようになった最初のきっかけ事件の話から少し逸れてしまったけれど留学や英会話マスターを目指している人たちの参考になれば幸いです。